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思いやりというもの [日記]

とあるマンモス駅。
あなたは電車に乗ろうと急いでいるとします。
ふと見ると、大きな荷物を抱えた年配の方が苦労して階段を上ろうとしています。
電車が来てしまいそうですが、あなたは電車一本遅らせてでも、
その人を手伝うことが出来ますか?


・・・
思いやりに関するあるコラムを読んだ。
江戸時代、雨の日に狭い道で人とすれ違うとき、
自分の傘の滴が相手につかないように
たとえ自分が濡れてでも、傘を反対側へかしげたそうな。
「傘かしげ」というものらしい。
いい話だと思った。
この話は、電車の乗降の時に肩が触れたことで傷害事件になったことを
取り上げたコラムに載っていた。

通勤時間、乗り換えるまでの人並みは皆早足で自分も例外じゃない。
それだけ急いでいれば少しぶつかっただけでも結構痛かったりするが、
それでも早足なんだな。
自分が歩く列の前を、体の不自由な人や年配の人が遅いペースで歩いていると、
それだけで歩くペースを乱されたような気になってしまう。
いかんいかんと思いつつも、それを「現代病」と片付けるのは自分の怠慢に違いない。
「忙」という漢字はよく出来たもので、「心」を「亡くす」と書いて「忙しい」。
それこそ忙しく歩いてたら、思いやりの心も亡くすってものだ。

・・・
さて、冒頭の問いかけである。
単に問いかけられただけなら「出来ます」と答える人はいくらでもいるだろう。
実際にその場面に遭遇したとき、躊躇なくそれが出来る人はきっと数少ないに違いない。
その数少ない中に自分が入っていると言い切る自信がないのが情けないところか。


「傘かしげ」の話には続きがある。
現代人は、雨の日に細い道ですれ違うとき、
相手の傘の滴が自分にかからないように傘を相手に向ける・・・というもの。
ようは江戸時代の「傘かしげ」と全く逆の行動。
自分はさすがにそこまではしないと思ったものの、
無意識にやっていたこともあったかもしれない。

江戸時代の美談として「傘かしげ」の話が語られるように、
平成の「醜聞」として「肩が触れただけでも障害事件になる」なんてことが
語り継がれるようでは恥ずかしい。
荷物を運ぶのを手伝うことも然り、傘を人と反対側にかしげることも然り、
ほんのちょっとの思いやりを実行できるかどうか、
試される場面はどこにでもある。


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AJISAIstreet-Ring

座席をお年寄りの方に譲る行為
これが結構難しいと思っています。簡単に出来る人が羨ましいです。
昔、大学の後輩が必ずといっていいほど、当たり前にやっている姿をみて、
本当にすごい人だ!と席を立つことさえ出来ない自分が恥ずかしかったです。

「傘かしげ」初めて聞いたのですが、とても素敵な風習だな、と思いました。
私も思いやりを行動にあらわせる人になりたいです。
by AJISAIstreet-Ring (2005-03-07 21:07) 

PANAMA

凛さん、コメントありがとうございます!(^-^)
そうですよね・・・席を譲ったり、荷物を持ったり、ホント何でもないことなんですけど、
なかなか実行できなかったりします。
譲ろうかどうしようかと思っているうちに他の人が譲ってしまって・・・
そんなときは僕も自分が恥ずかしくなります。
ほんのちょっとの勇気なのかもしれないですけどね。
凛さんの後輩の方を、僕も見習いたいです♪
by PANAMA (2005-03-07 21:30) 

Ber

はぢめまして。
色々考えさせられながら 拝見しました。
何かをするには 力がいるけど、席を譲ったりするのも 踏み切る
力が必要ですねぇ・・・
何もしなかったらいつもどうり終わる一日だけども。
by Ber (2005-03-07 21:37) 

PANAMA

Berさん、はじめまして!
コメントありがとうございました♪
>何もしなかったらいつもどうり終わる一日だけども。
この言葉、妙に心に残りました。
何か一つでも「何か出来た」と思える日であればいいですよね。
わずかな思いやりを実行するだけでも力が必要になってしまうこと自体が
現代病なのかなと思ってしまいました。

またお暇でしたら覗いてやってください♪
by PANAMA (2005-03-07 22:34) 

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